【連載】『デジタル化先進国』デンマークの実状を知る
~デジタル化の成功要因と成熟したデジタル化社会の課題~

2021.05.14 インタビュー

 行政のデジタル化は、職員の業務効率化、そして住民の生活利便性向上にとって不可欠であり、日本のみならず全世界で推進されています。コロナの影響で長期間の外出自粛を余儀なくされ、行政サービスのデジタル化はより一層、優先度が高まっていますが、皆様は行政の変化や改善を感じていますでしょうか?世界と比べて日本行政のデジタル化がどの程度進んでいるのか知りたい方も多いのではないでしょうか。

 そこで、今回は電子化先進国であるデンマーク在住、ロスキレ大学准教授の安岡美佳さんに、デンマークにおけるデジタル化の実状を伺いました。

※なお、今回は新型コロナウィルス感染拡大防止対策として、Zoomミーティングを利用したリモート取材となりました。

 

プロフィール:安岡 美佳(やすおか みか)

 ロスキレ大学准教授/北欧研究所代表。専門は社会におけるIT。北欧のデザイン手法(デザインシンキング、ユーザ調査、参加型デザインやデザインゲーム・リビングラボといった共創手法)を用い、ITやIoTなどの先端技術をベースに社会イノベーションを支援するプロジェクトを多数実施。京都大学大学院情報学研究科修士、東京大学工学系先端学際工学専攻を経て、2009年にコペンハーゲンIT大学博士取得。北欧におけるITシステム構築手法としての参加型デザインやリビングラボの理論と実践、それら手法の社会文化的影響に関心を持つ。近年では、IoTやコンピュータシステムが人々のより良い生活にどのように貢献できるかといった社会課題の解決に、参加型デザインやリビングラボの知見を応用するプロジェクトに取り組んでいる。著書に『リビングラボの手引き – 実践家の経験から紡ぎ出した「リビングラボを成功に導くコツ」』、『37.5歳のいま思う、生き方、働き方』など。

 

聞き手・・・デジタルわかる化研究所 岸本暢之、豊田哲也

インタビュー実施日・・・2021年4月16日

 

(デジタルわかる化研究所)北欧の中でもデンマークは世界からデジタル化先進国と評されていますが、デジタル化の実状と、成功要因・課題を教えて頂けますでしょうか?

(安岡)北欧はデンマーク・エストニアをはじめとして、デジタル化先進国が多いです。今回は私が住んでいるデンマークの実状を中心にお話ししたいと思います。

デンマークのデジタル化が進んでいる要因は主に5つあると考えております。

 

POINT1:長い歴史を持つデンマーク行政デジタル化の歴史

(安岡)まず1つ目は『かなりの時間をかけてデジタル化に取り組んでいる』という事です。デンマークは1968年に市民登録法によって個人番号(日本で言うところのマイナンバー)が既に導入されていました。今こそデジタル化に成功した政府としてデンマークは有名ですが、実はこの個人番号の導入当初は反対する人たちが多く存在したと言われています。

 現在、当時反対していた国民は80代~90代になっていて、彼らも個人番号を保有するようになり、長い年月を経て個人番号を持つ事が当たり前の社会になりました。

(デジタルわかる化研究所)デジタル化がスムーズに進んだわけではなく、長い時間をかけて、今のデジタル化先進社会に至ったんですね。2つ目の要因を聞かせて頂けますか?

 

POINT2:利用者目線に立った行政システムの構築

(安岡)2つ目として、『利用者目線に立った行政システムの構築』が成功要因として考えられます。行政のデジタル化に伴う新システム導入が複数始まった70~90年代にかけて段階的に、利用現場の理解に基づいたシステム開発が重要視されるようになったのです。

 システムは供給側の要望に合わせて設計するのではなく、『運用する政府の人材・利用する国民を想定しなければ適切な設計はできない』ことを、北欧の研究者及びコンピュータサイエンティスト達が気づき、提言しておりました。行政側だけでなく国民の意見を収集し、システムデザインに反映させたことが、多くの理解を得る事に繋がったのではないかと考えます。

 日本の場合、システムデザインの前段階として利用者観察があまり行われていないように感じます。トヨタをはじめとするいくつかの民間企業では、フィールド調査や参与観察による現場の理解を重要視すると聞きますが、それは一部に過ぎず、日本におけるシステム開発の教育プログラムにおいてもまだ十分に考慮できていない状況です。

 デンマークでは、70年代のシステム導入を機に、90年代には現場の理解に基づいたシステム設計の考え方がコンピュータサイエンスの教育に組み込まれています。また、システムを導入する組織が、システムを利用できる段階にあるか、デジタルリテラシー・スキルの成熟度を事前に確認し、導入判断をしているケースが多いです。この頃、現場周辺の人や物、情報の流れを理解した人を設計に巻き込み参加させる『参加型デザイン』という手法が当たり前のように行われる時代になりました。

(デジタルわかる化研究所)システムを構築し、国民に提供しておしまい、という事は日本で多々起きている事かと思います。申請や登録を行うシステムが使いにくいものだと、国民の生活利便性は向上せず、利用されないまま衰退してしまう可能性が高くなりますよね。

では、そういったシステムが存在することを『知ってもらう』ためにどのような取り組みがされていたのでしょうか?

 

POINT3:デンマーク政府による政策を国民に伝える努力

(安岡)デンマーク政府は、政策を推進・浸透させる上で『伝える努力』をしています。第一次電子政府戦略がデンマーク、日本共に2001年に発表され、その数年後に国民の社会生活に関わってくる部分のデジタル化が始まりました。

 そして、デジタル化された手続きやサービスを利用してもらうために、デンマーク政府は国民が楽しい、面白いと感じるような広報活動・イベント開催を行ってきました。

 日本でも、新聞に政府広告が掲載されている事があると思いますが、印象としては小さい枠に『マイナンバー登録しましょう』といった業務的メッセージが書いている程度かと思います。デンマーク政府の広報活動は規模・内容共に大きく異なります。市庁舎広場を使った大型のイベントを企画し、その告知を新聞の見開き広告で掲載したり、地下鉄のプラットフォームの壁一面にデンマークが世界的に表彰された実績を伝えたり、国民が楽しい・国を誇りに思えるような告知が主になっています。政府が普及させたい政策は補足情報として記載されています。

(デジタルわかる化研究所)お祭り感があるといいますか、業務的でつまらない内容に見えないような工夫が素晴らしいですね。国民が前向きになれる伝え方だと思いました。

(安岡)そうなんです。まずは楽しそう、行ってみようかなと思わせるような仕掛けを意識的に作っているんだと思います。そしてイベントに遊びにいくと、政府が取り組んでいる情報を耳にして興味を持つ、という流れです。工夫された伝え方ですよね。

 国の広報活動に関して、電子化庁の担当者に実状を聞いたことがあるのですが、PR・広告・イベント運営等の電子化推進のために使用している予算は電子政府予算の1割程とのことです。

(デジタルわかる化研究所)電子政府予算の1割を『国民とのコミュニケーション』に注いでいる事実は驚きでした。仕組みづくりと同様、もしくはそれ以上にデンマーク政府が『伝え方』を大事にしているのはなぜでしょうか?

(安岡)政府が国民とのコミュニケーションの取り方に工夫を凝らし、力を注いでいる理由を説明する上で、行動科学のナッジ理論が参考になるかもしれません。

 人の心・行動は、物の配置や見せ方を少し変えるだけで左右されてしまう、という理論で、例えばチョコレートと健康的なスナックが、目の前の同じ場所に置いてあれば、チョコレートを手に取ってしまうかもしれないですが、チョコレートを手の届きづらい奥側に置いておくことで、健康的なスナックを手に取る確率が高まる、といったイメージです。

 つまり同じ国から発信される政策や新しいシステムでも、国民が前向きに取り組みたくなるような伝え方・見せ方を政府がするかしないかで、大きく政策の結果は変わってくるということです。ほんのちょっとの違いで国民がネガティブに感じることも、逆にポジティブに感じることもあります。ヨーロッパにおいて、このナッジ理論をはじめとする行動科学の研究は、デジタル化推進のピークであった2000年前半に活発化しており、プラスに影響したのではないかと考えます。

(デジタルわかる化研究所)政策の内容だけでなく、伝え方・見せ方に関しても工夫を凝らす事がデジタル化推進に重要なことが良くわかりました。

 

POINT4:アクセシビリティ(情報へのアクセスしやすさ)やユーザビリティ(使いやすさ)を追求する文化

(安岡)2つ目の『システムの作り方がうまかった』に通ずるところがあるのですが、4つ目は『使いやすいシステム』を追求していることです。もちろん、システムは利用者目線に立って作られているのですが、政府が国民に対して利用することを義務化しているシステムというのは、必要十分な機能があるだけでなく、非常に『使いやすい』ものになっています。

 この使いやすいシステムが作られた背景には、ヨーロッパのコンピュータサイエンス研究、特にアクセシビリティやユーザビリティの分野において、操作性や使いやすさ、利用体験の質を高めるために達成すべき指標が確立されている事があると思います。その指標がシステム構築上、重要視されています。

(デジタルわかる化研究所)『使いやすさ』は高齢者だけでなく、デジタルに抵抗感があるすべての人が求めている事かと思います。日本の市役所のホームページや行政関連の申請ページはとにかく情報が多くて、本当に欲しい情報にたどり着けないことが多いように思えます。

(安岡)日本の関係者と話してみると、行政のホームページに情報が多いのは、様々な要望やクレームに対応するためで、後で何か言われないよう網羅的に情報を掲載していると聞きました。市民の大多数の人が知りたい情報はかなり限定されるのではないでしょうか。ユーザビリティ指標に従って日本の行政ウェブサイトを見ると、住民の方が本当に必要な情報が埋もれてしまっていると思います。

 結局、なにかをデジタル化した時に、多くの人に使ってもらえないと費用対効果が悪くなってしまいます。となると、『使いやすさ』を追求する優先度は必然的に高くなると思いますね。

 

POINT5:習慣化(癖付け)の仕組みづくり

(安岡)最後に5つ目の要因ですが、使いやすいシステムを作った後、システムの利用を『習慣化(癖付け)する』仕組みが作られています。例えば、政府からメールが届いた際、メールを開封しなかった場合にペナルティがあることを通知します。また、申請や手続きに関する問い合わせがあれば『とにかく住民ポータル(borger.dk)にアクセスしてください』とアナウンスし、1つのシステムに誘導することも、習慣化の例かと思います。

 コロナの情報などは健康省のウェブサイトで更新されているのですが、多くの国民はまず住民ポータルを開き、コロナ情報が閲覧できる健康省のウェブページに誘導されることが多いと思います。日本では生活に必要な情報がどの行政機関のウェブサイトにあるのか分からず迷子になってしまうケースも多々あると思いますが、住民ポータルはあらゆる情報へのハブになっており、そういった問題を解決しています。

 

 

(デジタルわかる化研究所)1つのウェブサイトに行けばほぼすべての必要な情報を見つけられる環境は安心しますし、国民にとって望ましい仕組みだと思いました。国民全員が閲覧する住民ポータルがある一方で、特定の世代、特に15-17歳とのコミュニケーションに政府は苦戦していると聞きました。

(安岡)デンマーク政府からの連絡は、基本的に個人番号と紐づいたセキュアな電子メールで行われています。実はメールの開封率が最も低い年齢が15-17歳で、80-90歳代よりも低いんです。電子化庁の分析によると、理由は彼らがそもそも政策にあまり関心を持たない年齢で必要性を認識していないからなんです。では、そのような若者にどのようにメッセージを届けるか。少なくとも従来の方法では、他世代と異なるメディアを利用している若者に対してメッセージが届いていない事も課題です。

 年代によって、日常的に利用しているメディア・ツールは大きく異なります。北欧では、40-50代になにかを伝えたい場合は、例えばFacebookを活用しますが、一方で若年層のFacebook利用率は低いと言われています。そのため、ティーンネージャーとコミュニケーションを取る場合にはTikTokやYouTubeの広告を活用するなど、政府は世代によってメディアを使い分ける戦略をとっています。年齢だけでなく、その他の特徴もデータ分析を得意とする民間企業と協業して洗い出し・グルーピングを行い、政策や広報活動に活用しています。

(デジタルわかる化研究所)行政サービスのシステムはシンプルに情報を集約・効率化している中で、国民とのコミュニケーション方法は様々な世代、特徴ごとに変えているんですね。15-17歳とのコミュニケーション課題や、その対応策についてよくわかりました。ちなみに、住民ポータルは政府が主導して作ったウェブサイトなんですか?

(安岡)はい、政府が主導して作っています。2005年以来、政府はマスコミ関係、デザインコンサルティングファームの人材を積極的に雇用したことがありました。プロパーの公務員だけでなく、外部の民間企業からきた専門的人材や、民間企業とプロジェクトを立ち上げてウェブサイトは作られました。ウェブサイトだけでなく政府広告もデザインが洗練されて、統一されているので、見た目もいいですし、すぐに政府広告だとわかります。単に見た目だけ良くするという話ではなくて、デザインの力を活用して国民が必要な情報にたどり着きやすくし、システムを使用する中で不便を感じさせないようにしています。提供情報の信頼性を高めることにも役立っています。

(デジタルわかる化研究所)日本のデジタル庁も近年、民間企業から人材を雇用し始めていると聞いていますが、デンマーク政府は10年以上前からそういった取り組みを行っていたんですね。ちなみに国民にとっての行政窓口(住民ポータル以外で)は、日本と同じように住んでいる地域の自治体になるのでしょうか?第一部の最後として、コロナ感染の対応やワクチンの接種など、どのように進められているのか教えて頂きたいです。

(安岡)基本的には日本と同様に、政府の施策は地方自治体から国民に降りてくることが多いです。でもその施策は、政府と県、市町村の共同協議で決められてます。国、県、市町村レベルで厳密に行政の役割は分かれておりまして、例えば市民対象のコロナ対応を含むプライマリ・ケア領域については地方自治体が管轄しています。コロナ感染検査やワクチンの接種も地方自治体単位で行われています。ただし、医療・保健データは国で一括管理されているため、検査は全国どこでも無料で受けられますし、データは集約されています。

(デジタルわかる化研究所)地方自治体と国民の関わり方や国、県、市町村の役割分担は日本に近いような印象を受けました。改めて、政策の運用方法や広報活動は日本が参考にできる部分がたくさんありそうです。

 

続編『デジタル化先進国デンマークにデジタルデバイド(情報格差)は存在するのか?』に続く)

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